家族の歪み。始まりの話。
本を読み進めるにつれて妙に納得いくことが多く「気にしすぎ」「神経質」なのかと悩んでいたことが解消しつつあります。
自分の気質なのだと理解してうまく付き合う。
言うは易し行うは…ですね。
私の問題の始まり。
今日は毒親に少し絡めたお話を…
妹びいきが酷くて辛い。とブログでも吐露しているのですが。
そもそもの妹びいきと、私が家族から見えない孤立をしている始まりを記しておこうかと。
その昔の我が家では、どちらかというと私は優等生扱い(母のヒステリックを見たくないので良い子である事に徹していましたので)でした。
勉強もやれと言われずとも人並みに。
先生に褒められると母が喜んでいた様子でしたので先生に褒められるように(母からの直接の褒め言葉はあまり記憶にありません)努めてたのでその為です。
妹には優しくしないといけない、姉は譲らないといけない。これも小さな時から当たり前のように言い聞かせられてきましたので「私も欲しい」「ほんとはこっちがいい」それを言わずに高校生くらいまで生きてきました。
反抗期で両親と衝突がありつつも、親の言うことをそれなりに聞く子供時代だったと思います。
高校3年生くらいの頃でしょうか?
ある時妹が「お父さんは特にお姉ちゃんにだけ優しい。お姉ちゃんの事だけあだ名でよんでる!!(その他諸々訴えていましたが覚えてません。要は依怙贔屓をしているといった内容でした)」
そこから父が突然私を遠ざけるようになり、私と父の間に大きな溝が出来ました。
父との関係は表面上は普通でしたが、要所要所で傷つくような言われ方ばかりでした。
その頃から母と妹の絆が出来たように思います。
依怙贔屓されているといわれ、妹に気を遣い何故か私は両親に嫌われるような事をしていました。思い切り嫌われようと振舞っていた気がします。
家にいない方が妹の為だなと
わざと悪い言葉を使ったり、夜間に外出するようになり、家に居るより友人と過ごす方が楽しく遊んでばかりいました。(不良まではいきません。今の高校生と同じ感じでした)
それでも文句は言わすまいと成績は優良にキープし、大学へは推薦で入学しました。
妹と母が仲良くしているというのは、当時高校生だった妹は友人と遊ぶこともなくバイトか自宅へ一直線。
しょっちゅう母とスーパーへ買い物に行くような生活を指します。
家に居て両親に従順な妹と、家に居らず自由に過ごす姉。
こうならずにはいられなかった。
避けて通れなかった役割分担だったと私は考えています。
度々父から放たれた言葉で忘れられないのは
「お前はどうせ家に居ないからな。居ても居なくても変わらない」
「お前は家に寄り付かないもんな」
これですね。
言われる度に好きでこうなったわけじゃないと頭の中で反論しました。
そしてその度に妹のあの言葉さえなければ…
父がそこから急に偏った態度さえ取らなければ…と悔しく思い、今でもその気持ちは消えません。
それでも「家族は仲良く無ければいけない」と刷り込まれていたので、表面上は普通に。
言葉で逆らわなくなったのは17歳を境だったと記憶しています。
自由な姉を演じなければいけなかったので、こうして結婚も遅めになりました。
そして遅めの結婚、出産の間に
早々に結婚し、子育てした妹と母との関係は更に深まり…
気づけば仲が良かったはずの妹もすっかり母の価値観、考え方に影響されてしまっていました。
私は家族と見えない壁で仕切られていました。
ここ何年かで、母と妹の事は嫌いと感じるようになりました。
どちらかというと考え方や感じ方が似ている父なので、父の事は嫌いとは思いませんが、やはりきっと死ぬまで相容れないのかもしれないなと今はもう諦めています。
家族の誰に対しても肩入れせずに、目の前で起こることにだけ対処していけば良い。
今はそう思っています。
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